1999年3月の日記

1999年3月1日
一時期は毎日つけていた日記が、今では二日に一回程度。マメにチェックするような気力というか、体力のようなものが、日に日に無くなってきているような気がする。というのは、最近疲れが全然とれない。結構、毎日5時間以上は眠っているはずなのに、なぜか昼間はだるく、学校の授業があったときに比べるととてもつかれやすい。やはり授業が終わり、休みに入ったと言うことでだいぶ気が抜けたのだろう。朝も徐々に起きられなくなっており、最近では20分や30分の遅刻がよくある。起きたら4時すぎである。普通ならば3時30分には店に入っていることが理想的なのだが。おかげで終わる時間も遅くなってきて、お客さまに迷惑をかけつつある。お店の人にも迷惑をかけてしまっている。明日は絶対にしっかり起きよう。

1999年3月2日
急に暖かくなってきたのでなんだか体がついていってない、、、。最近のだるさはどうやらそういう原因があるようだ。
というよりも、誰でも皆この春先というのは何だかポカポカしてくるので、ボーッとしてしまうかも。そろそろホームページの更新をしないとやばいと思う毎日。全体的に冷めてるし、リニューアルも必要かと。しかし明るいことを紹介する目的でもないので(笑)どうしようかと迷ってしまう。まぁ、この雰囲気、書き方、冷め具合、全てひっくるめて新聞奨学生なのである。

1999年3月3日
3月3日ということで、ひな祭り。男の私には関係ないけど、そういう行事があったことを忘れるぐらいに、普通に過ごした一日だった。朝刊では早起きをしようと昨日誓ったのにも関わらず、また4時過ぎに起きてしまった。何だか最近はだらけてしまっている。授業がないと本当に昼間は暇だ。夜があまり寝てないからと言って、昼寝ばかりするのも
どうかと思うし、せっかくできる貴重な時間、何か新しい趣味でもみつけていそしみたい。

1999年3月5日
今日は春一番が吹き荒れた。昼間までは穏やかな気候だったのだが、夕刊配達のときはつらかった。強風と砂塵によって目をやられた。気温が妙に暖かく、汗をかいてしまった。生ぬるい風だった。今日はやっと修理から直ったコンピュータが届いたので、ホッとしています。さてさて、昨日までに集金はほとんど終わり、ようやく暇になってきたので
ホームページを更新したい。いつも同じことをいってて、いつ更新するのだろう^^;今度こそは更新するぞー。っと、その前に明日の朝刊が心配だ、、何しろ分厚いチラシだからだ。今日のチラシもすごかった。全部バイクに積んだら、タワーのように積み上げられ、完全に積載の規定を越えていた。交通違反である。それでも配れというのだから新聞屋という仕事はなかなか過酷である。それよりも途中で倒れそうになることが心配だったが、何とか大丈夫だったようだ。一旦たおれると、散らばった新聞の積み直しがとても大変だ。しかも暗いところだったりすると、なにも見えず、うまくバランスもとれず積んでもすぐに崩れ、泣きそうになってくる。明日がそうならないように祈りたい。

1999年3月6日
今日はとても落ち込んだ。というのも、今までで一番遅い時間にまで寝坊をしてしまったからだ。電話で起こされ、その時間はもう午前5時。完全に遅れていた。みるにみかねた専務がチラシ入れを協力してくれたおかげで、すぐに配達にでることができたが、それでもかなり遅く、しかも今日はものすごいチラシ量、昨日予想していたとおりの厚みで、一回ですべて積むのは不可能だった。しかしかなり遅れていたために途中までの転送をしてもらうこともできず、半分ぐらいを店に残し、途中で一旦店にもどり残りを積んでいった。そのための時間ロスもかなりあり、結局配達が終わった時間は8時だった。しかも3件も電話が来てしまった。配達がかなり序盤の位置でありながらすでにかなり空が明るかった。本来ならば許されないことである。暗いうちに半分まで行っていることが理想である。かなりもう太陽がのぼっており、ほとんどのいえではもう起きていた。とても気まずいというか、申し訳ない気持ちで配達した。終わったら案の定社長にしかられ、とにかく今日はすがすがしい天気の一日だったにもかかわらず、ブルーな一日だった。明日こそは、明日こそはちゃんと起きよう。

1999年3月10日
日記をしばらくあけてましたが、9日はなんとGLAYのコンサートに行ってきました。ドームツアーだったので、東京ドームでした。四日目にも関わらず5万5千人も人がいた。若い女の子ばっかりだった。9日は朝刊を配り、そのあと少し仮眠をとってから2時に水戸から列車で東京に向かった。9日は夕刊しか休みをとれなかったので厳しいスケジュールだったけど、遊びであるのでつらさは無かった。コンサートがはじまるとなおさら元気になったけど、帰りが厳しかった。家に戻ってきたのが午後11時ごろだったので、次の朝刊まで4時間ぐらいしかなかったので、眠ってしまうと起きられなくなってしまうと思ったので、そのまま寝ずに朝刊に出る作戦にでたが、耐えられずに眠ってしまった。そうしたら案の定すこし寝坊してしまい、起きたら4時になってしまっていた。昨日から今日にかけては遊び疲れだったので、それほど大変な思いでも無く、楽しかったのでよしとしようじゃないか。新聞奨学生にもたまには遊んでもよろしいのだと思い始めた日々だった。

1999年3月12日
3月になるととてもチラシが厚くてつらい。特に今年に入ってから配達の件数が30件ほど増えてしまったので、チラシが厚いと一度に持っていけないことが多い。先週もそのようなことがあり、おまけに寝坊してしまったとあって、明日の配達は絶対に遅れることはできない。件数が30件ぐらい増えてしまうと、以前ならば2時間10分ほどで終わっていた朝刊配達が、今では2時間30分ぐらいかかる。20分余計にかかるだけでもえらく長く感じるものだ。おまけにチラシ入れなどの準備作業も以前よりも時間がかかるようになってしまった。しかしどんなにかかっても7時までには終わらせなければならないので、そのためには以前よりも早起きしなければならなくなってしまった。貴重な睡眠時間が無くなることはとても痛い。明日のチラシもとても厚いので、早めに寝て早起きしたい。

1999年3月15日
今日は仕事休みだけど、日記が空きすぎていたので書きます(笑)。なんだか久しぶりの南風のしめっぽい天気だった。夜は寝汗をかいてしまった。案の定大雨が降り出したけど、明日も休みなのでよしとしようじゃないか(笑)。最近は日記がかならず二日か一日ぐらい間が空いてしまう。学校は完全に無くなっているので、以前より時間はたくさんあるのに、なぜかネットにつないだりする時間はあまり変わらず、趣味をする時間も増えていない。どうも、休みたい欲が強く、眠りたい欲とか、ボーッとしていたい欲というのが取り巻いている。授業があったときはそういったことができなかったので、いざ時間ができるとその時間を趣味に使おうとすればいいのだが、それよりも休みたい欲が強くなってしまった。ゆえにだらけ気味の生活である。日曜日はお父さん寝かせてくれという気持ちがよく分かるような気がする。奨学生生活も早いもので2年が終わろうとしている。やっと半分である。あと半分も残っているのかと思うとかなり気が重くなる(涙)。

1999年3月17日
今日は油断していたせいで、また朝刊でコケてしまった。油断というのは、一昨日からの大雨で道がぬかるんでいることに気がつかなかったということだ。つまり、昨日も一昨日も、休みだったのでそういった道の状態だったことに気がつかなかった。普段ならば平気で通れる道だったのだが、今日はそれが泥道になっており、見事に滑って転倒、体がどうこうというよりも、泥の上に新聞が散らばってしまったのだからたまったものではない。まだ日も昇っていない暗いうちなのでなにがなんだかわからず、しかも立ち上がろうにも滑ってたてないし、泣きっ面にヘッドロックだった。

1999年3月18日
今朝は久しぶりに朝刊であせをかいた。なんだかとても暑い一日だった。しかも今朝のチラシがまた厚く、しかも一度に全て積んで慎重に走って、ハンドルに力が入りながらだったので、余計に運動になって暑くなった。朝から思いっきり有酸素運動をしてしまったので、今日ははじまりから疲れていた。夕刊のときもいつものように店のジャンパーを羽織っていくと大汗をかいてしまった。

1999年3月20日
夜にチャットオフ会があるので、日記を書き忘れそうなので朝書いておく(笑)。朝で一日がはじまったばかりなのに、書くことがたくさんある。それは今日の朝刊配達。今までで1,2を争うチラシの量だった。しかも、最近はなぜか新聞自体のページが増えているようで、それも全体的な重さに拍車をかけているようだ。しかし今日は途中で半分を転送してもらったので、配達自体は苦労が無かった。いつも転送をしてくれる専務は、自分の配達が忙しいときは転送してもらえないことが多い。そのときは新聞を半分だけ置いていき、あとで途中から取りに来る。しかし取りに戻るといっても、それが15分以上かかるからタチが悪い。とにかく遠すぎるのだ。専業の人でさえ、やりたがらない田舎区域は、いちおう寒さは和らいできたので今は大変ではなくなったが。新聞奨学生をはじめることで少しお金に余裕ができたことで、始めたネットだが、もちろんこの仕事をしていなかったら、とてもネットをやるお金どころかパソコンを持っていることも不可能だっただろう。だからこうしてページを開いてネットができるのも、日々自分で生活できるのも仕事があってからこそだと思いながら、チラシが厚いだの文句を言わずに続けることにしよう。ネットをはじめてから、まず自分が探したことは新聞奨学生のページだ。私は当時店には学生が私一人だったので、同じ立場の新聞奨学生や先輩などがいなかったので、話しも聞けなかったし、体験やアドバイスももらえなかった。とても不安だった。本当は自分はとても大変な量の仕事をやらされているのではないか、とか、悪い待遇なのではないかとか思った。他と比べることができなかったからだ。だからネットで新聞奨学生のページを探して、少しでも励みになればと思った。そこで見つけたのが千葉にいる奨学生の人が開いているページである。その人とはメールを何度かやりとりし、仕事についてつらいことや、アドバイスや、奨学生としてどんな待遇なのか、といろいろと聞いた。そうすると自分よりもその人のほうが大変な仕事量であったことがわかり、自分はまだまだ楽な方だったのだと気がついた。それに気がつかなければ、きっと自分ばかりつらいのだと勝手に思いこんでいただろう。今では自分よりももっと大変な思いをしている人がいることを考え、それなのにこの程度で音をあげていてはその人達に申し訳がたたない。そういうこともあってネットをやることは、今の自分にとってもとても良い影響となり、励みになっている。自分もその人を見習って、同じように自分の体験談を伝えようとページを開いて行こうと思う。当時は新聞奨学生のページというのは、そこぐらいしか見つからず、ほとんど無いに等しい物だった。しかし、今ではかなり増えているようで、新聞配達関係のリンクからたどると他にもいろいろな人がページを開いているようだ。やはり同じ仕事をしている人の話しなどを見ると参考になるものだ。ただ、気になったのはどのページもここよりもかなり充実していたということだ(笑)。うーん、そろそろマジで更新しなければ。

1999年3月21日
ここ一週間は雨が多く、道は常にドロドロだった。おかげで今日もいきなり滑ってしまった。新聞にドロがついてしまった。転んだときになにが大変かというと、それを起こすのが大変だ。新聞が積み上がった状態で、そのまま起こすのは不可能なので、一度新聞を荷台からはずして、バイクだけ起こす。そして地面に散乱した新聞をふたたび綺麗に積み直すのがとても大変だ。それもドロドロの上で全て行わなければならないのだから酷い。しかもそれをするのがやたら時間がロスするので、焦りが生じてとても汗をかく。しかも小雨が降っていたので雨で濡れるわドロがつくわで暑いわでなにがなんだかわからない状態になった。改めて田舎区域のつらさを感じた。最近は新聞が重いので簡単に
滑ってしまう。はっきり言って今が今までで一番配達がつらい。部数も多いし、チラシも多くて、バイクで普通にはしることさえもバランスをとるのに必至で、疲れるからだ。おまけに悪路なので下もすべりやすい。これが普通の道路などだったら何も苦労がないというのに。

1999年3月24日
22日の祭日と23日の休みを利用して、つかの間の里帰りをした。たった一日だけの帰りだったので、物足りなかったけど、帰ったのも親の顔を見たのも半年ぶりだったので、なかなか貴重な日だった。高校時代の友人と遊んだりして、楽しかったがたった一日だけだということにびっくりしていたようだ。やはり休みがなかなかとれないのは大変だ。帰ったのは車で2時間。もちろん自分で運転していったのでとてもつかれた。帰ったのは24日の午前0時ごろだった。車じゃないと行けない場所なのでとても不便な場所である。しかし地元波崎町は私はなかなか好きなところだ。高校時代は地元を早く抜け出したい気持ちで、奨学生をしてまでも進学して抜け出そうと必死だったものだ。でもおかげでいろんな意味で知識や経験がひろがってよかった気がする。今度地元に帰るときはおそらく半年後になるだろう。それでもそのときにちゃんと休みをもらえるかどうか不安だ。

1999年3月25日
今日はついに所長に一喝をくらってしまった。というのも配達が終わったのがあまりにもおそかったからだ。もちろん、雨がめちゃくちゃ降っていたという理由もあるが、それにしても今日は本当に終わるのが遅かった。しかし、寝坊したというわけではなく、いつも通りの時間に行ったのに、なぜか時間がかかってしまった。おそらく雨というので自分でも気がつかないうちにバイクスピードが相当に落ちていたのかそれとも、雨と泥の恐怖が最近は特にあるので、それにやたらと敏感になって慎重になりすぎていたのかもしれない。以前ならば同じ時間に配達をはじめても十分に7時までには終わるものだったが、30部近くも増えてしまっては、やはり同じ時間に行ったのでは30分ぐらいは遅れてしまうようだ。まして雨ともなると余計に時間がかかり、今日なんかは3時間ぐらいはかかったような気がする。しかし、自分がたるんでるとか、寝坊気味とかそういう理由よりも、部数が増えたことや、決算期ということもあってか最近のチラシの重さにやたらと時間をとられているようだ。それによって発生する遅れが、自分の努力不足のように言われては、たまったものではない。現に出社時間はなんら以前と変わらない時間なのだから。ということは、もっと早起きして、早く始めなければならない、ということになる。はっきり言って今以上に早起きをしなければならないのは非常につらい。今は春休みなので特に昼間は休んだりできるが、これで授業がはじまってしまったらと思うと、果たして耐えられるのか!?と思ってしまう。

1999年3月28日
ちょうど良い曜日配置だったので、昨日、今日と集金をすることにしたのだが、昨日はなんと雨。いつも、さてやろう〜と気合いを入れると雨でつまづく。10件も回らないうちに昨日は冷たさに耐えきれず断念。その遅れをとりもどすべく、今日は快晴のもと役100件を回った。マラソンをしている気分だった。以前ならばこれでほぼ3分の2は終わっていたのだが配達件数が30件以上増えているということは、集金件数も同じだけ増えていることになり、今としては100件回っても半分ぐらい。これはかなりきつい。夕方3時頃から急に冷たい風がふきはじめ、当初の予定としては6時ぐらいまでは回ろうとしていたのだが、暖かいうちの服装のままだったので、とても耐えきれずにギブアップしてしまった。明日も同じ件数ぐらい回らなければならなくなってしまった。しかも明日は間に夕刊配達があるので体力的にもつかどうか不安だ。今日ですら、あまりに歩き回ったために足の疲れが相当。やはり日曜日があるからと、一気にその日で終わらせようとせずに事前に少しずつ回っておくべきだったと後悔している。とにかく今は明日でちゃんと集金が終わるかどうか、不安である。

1999年3月31日
一昨日と昨日、それぞれ一日中を使って集金を終わらせた。時間が無かったにもかかわらず思いっきり気合いを入れてまわったおかげで二日間で終わってしまった。でも、やっぱり二日間で終わらせようとするのは体力的に無理があったようだ(笑)。30日は休みだったものの、休んでも二日間歩き回った疲れはとれなかった。早いもんで、今日はもう3月31日。なんと奨学生生活をはじめてから2年目が終わってしまう。やっと折り返し地点だなぁ〜。長かったような短かったような。いや、短かったってことは決して無いんだけど。ここまでよくやったなぁ、って自分でも思う。思えば始めたばかりの頃は、2ヶ月もつかどうかで迷い、そして2ヶ月やりとげた時はそれだけでも自分を凄いと感じたものだった。これからまだあと2年あるけど、軌道に乗っているぶん、おそらくこれまでよりはとても早く時間はすぎることでありましょう。この勢いであと2年コンプリート(完了)するぞ!

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