1998年12月の日記

1998年12月1日
かなり課題に追われ始めている。仕事は一段落ついたものの、どうも学校の方が忙しくなってきたようだ。12月に入って、いよいよこれから仕事の方も大変になってきそうだ。というのは何よりも元旦があるからである。これから年末はそのためのチラシ準備があるのでたくさんの忙しい日々が始まることだろう。無論、年末年始に休みなどあるわけが無く、あるとすれば1月2日ぐらいだ。今日は暖かかったので非常に過ごしやすい日だった。昼寝などをしてしまった。昼寝ができるぐらいの余裕と時間が少しだけ出てきたことがとてもうれしかった。

1998年12月2日
朝は気温は5度ほどで、そのぐらいならば暖かいと思うようになってきたのだが、しかし日中の気温がそれ以上ほとんど上がらなかったようで、なかなか辛い思いをした。朝刊よりも夕刊のほうに今日は寒さを感じたようだ。しかし、明日はいよいよ雪が降るかもしれないような気候になるらしい。久しぶりに来たか、という感じだ。また気候との戦いがはじまるのだ。ここしばらくは気候には恵まれていたので、自分にだらけた部分が出てきていたようだが、しかしこれからは些細な悩みなどどうでもよくなってくるだろう。気候が悩みを持つ間を与えなくしてくれるだろう。明日は−2度かそれ以下にはなるだろう。早めに寝てエネルギーを蓄えておきたい。

1998年12月3日
今日は東京方面でも雪が降ったようで、かなりの寒さだった。最低気温はそれほどでも無かった。だからむしろ先週ぐらいの、天気のいい日の朝のほうが寒かった。やはり放射冷却したほうがずっと寒いようだ。ただ、昼はやはり今の方が寒い。昨日は今日が−2度ぐらいになりそうだと懸念していたのだがそれほど心配はいらなかったようだ。しかし今日は一日中、授業に行ったのでとても疲れた。休むわけにも行かなくなってきたので、明日も頑張らないと行けないようだ。

1998年12月4日
かなり睡眠不足である。ここで言う睡眠不足とは、以前のような睡眠不足ではなく、つまり、以前は6時間は必ず確保していた睡眠時間が、4時間以下になってしまったということである。必ず、何かしら、家でもやらなければならないことが最近は多い。それは学校での授業で、課題が最近はやたらと多いのだ。学校でやる時間も無いので、どうしても家に持ち帰ってこなすしかないのだが、その家でやる時間も無いので、睡眠時間を押してやるしかないのだ。また、睡眠が少なくても耐えられるかどうかというと、これが翌日授業のみとかならば、つまり普通の学生ならば許せるであろうが、配達がとても辛くなるのだ。多くの学生が、徹夜を平気でできてしまうのは、昼間にあまりエネルギーを消費する必要が、無いからなのだ。しかし、私の場合は昼も容赦なくエネルギーが使われるので、特に最近は寒さが厳しく、それに耐えるだけでも辛いので、睡眠はしっかりと確保したいのが本音なのだ。それができていない状態なので、今もかなり胸が苦しくなったり、体が重かったりする。ドリンク剤などを飲んで、しのいではいるがこの状態がいつまで続くのだろう、と思う。おそらく学校が冬休みにはい るまでは続くのであろう。

1998年12月5日
天気予報は見事にはずれ、朝からずっと雨が降っていた。かなり冷たい雨だ。まぁ、予報では曇りってことで雨は降るかもしれないという予報だったので、よしとしようじゃないか。久しぶりの雨の配達はなかなかこたえた。昼間は学校が無いのと、外は雨が降っていることを利して昼寝をすることにした。かなりここ最近は睡眠不足だからだ。平均、4時間ぐらいなのではないだろうか。睡眠時間に相応しないぶん、昼間は動くのでエネルギーはだいぶ尽きていた。朝刊が終わった後は、夕刊の時間になるまで泥のように寝てしまった。これだけゆっくりと部屋の中で休憩したのは本当に久しぶりだった。夕刊は雨だったが、それほど疲労するものではなかった。やはり睡眠をとっておいたことが功を奏したようだ。最近、日記などを読み返してみると、たいてい、同じようなことをつぶやいていることに気がついた。眠いだの、疲れただの。口癖にすらなってしまっている状態である。まぁ学校が終わるまでの辛抱だ。それは2月。これから寒さもいっそう厳しくなるが、何とか乗り越えたいと思う。

1998年12月6日
今日は大寝坊した。起きたら5時。電話で起こされたのだがなんとその電話してきたのは、以前コラムでも書いた働く老人ことアルバイトのY氏であった。つまり社員もほとんど今日は遅刻していたということだ。なんと恐ろしいことであろうか。私だけが焦っているのではなく、皆が焦っていたようだった。ゆえに電話して起こすことも忘れたのだろう。まぁ、それよりも自分が寝坊してしまった、というだけなのであるが。Y氏は非常に頼もしい人だ。Y氏はいつもかなり早く出勤し、午前2時には配達を始める人だ。終わるのが4時頃らしい。そしてアルバイトであるにも関わらず、自分の配達が終わってからも、しばらく居残り、他の人の分を手伝ってくれる。今日は私はそれで助かったのだ。社員が電話するのを忘れていたのを、電話してくれたのもさることながら、チラシ入れの作業までやっておいてくれたのだ。何て粋なオジサンなんだろうか。Y氏はアルバイトで朝刊配達をしているが、それが終わった後は昼間は配管工の仕事をしているらしい。私のような新聞奨学生にせまるとも劣らない生活エネルギーを燃焼しているのだ。年齢は詳しく聞いたことはないのだが、推定年齢は60前後だ。 しかし、かなり背筋が伸びており体力のある人だ。これからの高齢化社会において、このような人がとても輝かしく見えた。

1998年12月8日
今日はとんでもない失敗をしてしまった。いや、失敗というよりもこれは不可抗力なのだろうか。なんと昼まで爆睡してしまったのだ。本当は今日は9時から授業があったので、仕事が無かったとはいえ、それよりも早く起きておかねばならなかったのだが。今日の、8日は、先月の11月30日以来、久しぶりの休みでした。ゆえに七日以上連続の仕事であり、そのうえ、授業での宿題などがかなり多かったということで、かなり体が酷使されていたのだ。そして久しぶりにたくさん寝ようとしたら、いささか寝過ぎてしまったようだ。泥のように寝てしまったようだ。起きたらすでに授業が終わっている時間だった。私は不可抗力だと思ってる。ゆっくりと休みたい欲はかなりたかぶっていたため、その状態でもって、今日も朝のうちに起きて、授業に行くということは、物理的にもエネルギー的にも無理があるのだ。いずれにしても体が資本なので、今日は無理せずに休んだ、ということにしておきたいと思う。

1998年12月10日
最近特に気がつくことは、ページの方向性である。何が気になるかというと、このページが決して楽しいページでは無いということである。はっきり言って見に来て楽しい、面白い、と思う部分などひとつも無いような気がする(笑)これで良いのだろうか、と思う。新聞やってる同業者などは結構参考になったりして、興味深いと思うのだが、一般の人はどうなのだろうか。まぁ、こんなページもありだとは思う。少しずつ更新して行きたいと思う。今日は珍しく一限から授業に行った。そして4限までぶっ通し、夕刊終わってやっと部屋に戻った。とにかく一日授業はきつい。これで天気が悪かったら最悪である。1998年12月9日,,いつの間にかカウンタが4000を越えていた。結構、ここも訪問してくださる方々が増えてきた、ということだろうか、とても嬉しいことだ。自分?という説もあるが、いくらなんでも自分で何十回と自分のページを開いたりはしないので(笑)きっとお客さんが増えていることと、期待したいと思う。ところで今日はいつものことだが、とても疲れた。びっしりと授業をしたからだ。おまけに授業が終わってから、夕刊に行くまでの、ほんの40分程度の時間で、夕方3時 頃に集金に来てくれという客がいたので、そこまで行ったのだ。ご存じのように、私の区域は学校とは正反対の方向にあり、自分のアパートから、学校へいくまで30分。また、配達区域の最も遠いところへ行くにも20分はかかろうかという距離なのだ(バイク)。すなわち、学校から直接帰りながら集金に行くと言うことは、かなりの移動距離があり、ちょっとした小旅行気分である(わけないけどたとえて言うなら)。寒いのをこらえて行った。夕刊のあとも、集金に行った。かなり寒かった。この時期は前の月の集金の締め切りが迫っている時期であり、残った家はほとんど留守だったり時間指定が多いのだ。だから何度もいかねばならないので月末に次ぐ忙しさだ。なんだかんだ言って、本当にゆっくりできる時期というのは、中旬ぐらいしかない。あらためて考えてみると、なんて自分は厳しいことをしているんだろう、と思うのだ。しかし、習慣化されてきているので、それほど忙しいという意識は普段はないようだ。寒さも慣れてきたようなので、さっさと集金を終わらせて早く休息を得たいと思う。

1998年12月12日
コンピュータのディスクをあやまって消してしまい(というよりFDISKをかけてしまっただけで、フォーマットはしてないのだが)、しばらく復旧作業におわれていると、日記なども書くことができませんでした。それよりも、今までのデータなどが消えてしまったことが、何よりも悲しくて、昨日は復旧させようと、なんとか奮闘していたら、結局徹夜になってしまい、一睡もできなかったのだ(涙)。今日は朝刊が終わってから、少し寝ようと思ったのだが、しかし今日はお昼は絶対に集金にいかないと、今日じゃないといない客のところにいかなければならなかったので、寝ることができなかった。その時点ですでに30時間ぐらい起きていた。夕刊前になって、少し時間があったので仮眠をとろうとおもったら、案の定おきることができず、夕刊配達を遅刻してしまった。夕刊が終わったと思ったら、今度はなんと来月からの新刊、つまり来月から新聞を配達する家を一件づつチェックし、帳簿などに記入する作業が、毎月、中旬になるとあり、その作業をした。その作業が普段ならば毎月に配達開始したり、とめたりする家は3件や4件ほどなのだが、半年契約で結ぶ家々が多いので、つまり毎年7月〜、1月 〜というところがほとんどなのだ、そうなってくると、来月1月からだともう40件ぐらいあるのだ。配達件数があたらしく40件、ということだ。まぁ、しかしながら配達停止する家もあるわけで、差し引くと±0に近くはなるのだが、これが増えるほうが多かったりするときがあるからタチがわるい。40件もの新刊を一件づつチェックする作業はとんでもなく時間がかかるものだ。また、新年ということもあって、その新刊の家々に、カレンダーなどのサービス品をもって、挨拶周りまでするのだ。サービス業としては当たり前の話かもしれないが、本業が学生である私にとって、そのようなことに時間を割くというのは、とても苦しいものである。そして、元旦の新聞に入るチラシはもう3日〜4日前にすでに準備する作業に入るのだが、これもまた忙しい一日中、チラシを折り込んで、それが3日ほどかかるのだ。さらにそれ以前には集金が待っており、とにかく12月は仕事、学校ともに忙しい。年末年始は私にとってはなんのお祭り行事でもないのだ。

1998年12月13日
昨日、来年からの新刊をチェックしたのが、終わったのが午後8時。そして今日は朝刊終わった後に、その新刊分のところに粗品などを配っていた。昨日からぶっ通しで睡眠を挟んでも、やっと仕事から解放されたのが、今日の正午ぐらいであった。昨日の夕刊配達からそれ以来である。土曜日曜のほとんどが消えてしまった。集金時期ほどではなかったとはいえ、唯一ある、中旬の土日が消えてしまったというのは惜しい。これも12月であるからと、何とか仕方がないものと思うことにしよう。明日は休刊日であり、配達はない、しかも15,16日も私は休みだ。仕事に関しては3連休だ。しかし、学校の忙しさは日に日に増しているのだ。まぁ、これだけまじめに学校に行くことも最近の学生では珍しいのかもしれないが。早速、明日はある一つの授業でテストがある。だから今夜中で、勉強しなければならない。一体、いつになったら暇になれるんだー。

1998年12月15日
今日は三連休の二日目です。学校はあるとはいえ、さすがに三日連続休みであると、とても楽である。つまり、学校だけだとしたらこんな楽な生活は無いと思ったりするのである。多くの学生はそうなのだろうけど(笑)。昨日はテストがあったので、初日は気を抜けなかったが、今日や明日はようやく気が抜けるという感じである。特に仕事のほうは、一段落しているので、奨学生としての日記として書くことはないかと思うので、今日は終わります!

1998年12月17日
再び課題などのラッシュに見回れている。したがって睡眠は昨日なんか2時間という酷いものだった。2時間だけ寝て、朝刊配達はなかなか厳しいものがあったが、今日は午前の授業は休むことにして、少し仮眠した。そうやってなんだか夜に寝ることができずに、昼間にうとうとしてしまうということが多く、非常に危ない。まぁもうすぐ学校は冬休みに入ると言うことで、それまでの辛抱だと思う。また、今日はうれしいことに、ボーナスが出たのだ。まさか給料が遅れるような職場がボーナスがちゃんと12月に出るとは思わず、度肝を抜かれた。少なくとも1月と踏んでいたのだが。無論、金額はたいしたことは無いのだが、これで少しは栄養のある食事をとって(賄いだけでは栄養不足)、元気をつけたいと思う。また、これからが本番だからだ。元旦が終わるまでは気が抜けない。

1998年12月18日
集金を早速はじめた。年末は少し早めに集めなければならないのだ。とりあえず、20件ほど、こなしてみた。寒かったので、途中で断念してしまった(涙)。こんなことで全部続くのだろうか。先月は暖かい昼におこなったので、それほどつらくはなかった。今月も昼におこないたいのだが、何しろ授業が妙にびっしりで。おまけに明日と、明後日と、集中講義というのがあり、朝から夕方までびっしり講義である。この集金時期に土日がまるまるつぶれてしまうのはつらい。クリスマスがどーのこーの、私には関係ないようだ。

1998年12月19日
今日は集中講義というものをした。つまり、三日ほどまるまる一日中講義をすることで、単位になるというものだ。これが私は初体験だったのだが、とにかくきつかった。いや、ただ座っているだけなので、本当は疲れるとかはないのだが、やはり普段常に動き回ることを主体としている私にとって、いくら授業とはいえ、一日中座ってじっと話を聞いているというのは、非常につらいものだった。寒さや暑さというのは無かったが、しかし約8時間ぶっ通しで講義であり、ついには途中で寝てしまったりした。やはりそういった生活もつらいものだと実感した。明日も同じことをする。朝刊を配り終わったら、その後、一日講義だ。今日は夕刊配達だけ休みをもらった。明日はもともと日曜で夕刊が無いので、仕事の休みはもらわなくてもよさそうだ。とにかく明日も何とか乗り切りたい。

1998年12月20日
昨日に引き続き、集中授業だった。土日と8時間授業はさすがにきつい。しかも朝刊後に。とくに仕事について書くこともない(笑)。ずっと教室の中にいたから。

1998年12月21日
ここのところ、寒さが和らいでいたかと思ったら今日はふいをつかれて、−3度の風を浴びてしまった。朝焼けが地獄のように見えた。最近、休みたい欲望がふつふつと、つのっており、向こう6時間以上することがないという時間帯に早くさしかかりたいこと山の如しである。しかし、そのような時間帯はきっともうしばらく来ないだろう。23日は休みの日には、少しはそういうチャンスがやってきそうである。寒さによるエネルギーの消費がさらにその欲望を高めているようだ。授業はクリスマスまできっちりとあり、そのときまではまだまだ忙しそうだ。しかし、授業が終わったとしても、元旦のチラシ準備や集金の追い込みがまっており、年があけるまでの辛抱である。なんとかがんばりたいと思う。

1998年12月24日
今日はクリスマスイブということで。まぁ、私には仕事もあるし、学校もあるしであんまり関係ないのだけど、、。明日はもっとも強い寒波がやってくるそうだ。予想最低気温は−4度。はっきり言って死ぬかもしれない。最近は、寝不足気味で、4時間ぐらいが平均のような気がする。集金が全然終わってないので、はやくやらなければならないのだが、24と25はクリスマスということで、自粛することにした。いや、自分が何かあるからというわけではなく、やはりそういう日に集金に行くというのも、お客さんの立場からすれば、ちょっと筋違いなのではないかと思ったからだ。クリスチャンもいるかもしれないから。明日までは授業があるので、集金はそれ以降に頑張りたいと思う。とにかく、今日は明日の寒波に備えて早く眠りたい。

1998年12月25日
今日はこないだの土日におこなった集中授業の続きの、3日目でありました。一日中、授業でした。妙に暖房が効いており、寝不足気味だったので非常に応えた。朝刊では、−4度だったので、今年もっとも冷えた。

1998年12月26日
昨日の集中授業で、ようやく学校のほうが休みに入ったので今日からはようやく仕事に専念することになった。ここ一週間ぐらいは、授業が詰まっていたために、一週間ぶりぐらいの集金になってしまった。私はだいぶ遅れているようだった。しかし、他の人たちは、社員であり、学生でないので早く終わらせることができるのは当然のことと思う。私はとにかく授業が終わるまでは、時間が無かったのだから。29日で締め切りなので、今日をいれてもあと3日しかなかった。しかし、一週間まえに、4分の1ぐらいを終わらせているので全て残っているというわけでは無かった。それに一日中、時間があるので、それを3日続ければ、十分終わることと思う。そういう気持ちがあったので時間的には余裕を持っていたつもりだった。しかしそういった勢いも、一万円札のラッシュによって迎撃されてしまった。つまり、一万円でばかりで払ってきた客が多かったのだ。当然、釣り銭がなくなることは必至で、蓄えておいた千円札があっという間に無くなってしまった。それが夕方の出来事だった。私の区域は、とても田舎であることはもう何度も言っていることだが、当然、両替をできるような場所などある わけがないのだ。郵便局や銀行も、街まで何分かかけて戻らないと行けないし、また、ちょっと買い物をして、一万円を崩そうにも、そのお店すらないのだ。コンビニすら、2キロほど田んぼの中を突っ切って走らないと、たどり着けないのだ。そもそも、どちらに行くにしても、この寒さでそのような長距離を走るのは、非常に酷なことである。そんな酷なことが、今日は2回も発生してしまった。一度両替に郵便局まで戻ったはいいが、また釣り銭が尽きてしまったのだ。しかももうATMは5時で終わっていたので、店で買い物して崩す以外に方法はなく、仕方なく、2キロほど離れたコンビニまで、バイクを走らせたのだ。そういったことに、時間を費やされてしまったので、あまり多くの件数を回ることができず、しかも冷やされるしで、さんざんだった。明日も同じことがないように、十分に千円札を蓄えておこう。

1998年12月27日
今日は朝刊が終わったと思ったら、いきなり店の大掃除にとりかかった。まさか今日するとは思ってなかったので、油断していた。なぜなら今日は朝から集金に出かける予定だったからだ。いつも思うことはたいてい日曜日に何か仕事が入るときは、当日にわかるということだ。つまり、事前に、明日は大掃除やるから、とかいう話しを聞かないのだ。いきなりだからいつも困る。そういった予定で今日の行動を組んでいたのに朝からいきなりエネルギーを消費した。そして、掃除が終わってから、少しも休憩を挟む間もなく、集金に出かけ、5時間以上かけて夕方までおこなった。のべ100件ほど、回ったのだ。今までの分を一気にやったという感じだった。かなり足が痛くなった。大掃除をした後だったのが応えたようだ。年末ということもあり、ほとんど、留守というのは無かったようだ。しかし、今日だけでは全部終わらず、明日も回らなければならないようだ。明日は余計な仕事が入らないことを願いたい。

1998年12月28日
今日は、今年最後の集金をしたのだ。いや、そうなる予定だったのだが、案の定、金の用意ができてない客が多く、明日来てくれ、という始末だ。明日、チラシ折りが一日中あるっていうのに、どうやって行けというのだ。何度も思うことは、なぜ集金に来てから金を用意しようとするのか、ということだ。事前に金があるときに、抜き取って用意しておこうという簡単なこともできないのだろか。集金に来てから、その金額だけ銀行でおろしに行こうと思うなよ(笑)。あと、母ちゃんいねぇからわかんねぇんだ(旦那のせりふ)。…コドモか??こんな親父にはなりたくないもんだ。親がいないんですけど。きょうび中学生でもそんな留守番はできるぞ。とにかく、いい社会勉強になると思って割り切ることにしよう。

1998年12月30日
昨日はチラシ折りをして、一日中、働いていた。腕が痛くなるほどの量だった。枚数は、70枚以上、つまり、70ページの本ぐらいの厚さ、ということである。しかし新聞のチラシの紙質というのは、なぜか重い素材でできており、普通の70ページの雑誌の重さの、上を行っているという感じである。それを、昨日は、朝刊が終わってから朝から、夕方3時まで、ずっとチラシ折り込みをしていたのだ。何しろ一部の重みがあるので、かなりの良い運動になってしまうのだ。それでも夕方3時頃に終わったというのは、随分早くなったものである。去年は、それが二日ぐらいかかったのだ。新聞の増ページというのがあり、それが例年では7部ぐらいあるのだが、今年は4部しか無かった。やはり本社のほうでも不景気のようである。しかしそれを補ってあまりある、チラシの量があり、チラシだけは例年よりも多かったようである。不景気でもなぜかチラシだけは勢いがよかった。昨日は一日中、それをしていたので、終わった後で、すぐにダウンしてしまったのだ。今日は配達が無かったので、昨日のダウンの勢いから今日まで一気に眠ってしまったようだ。元旦の配達に備えて随分と睡眠がとれたと思 う。体調を崩さないように、このままの調子で年を越えられることを願いたい。

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